大嫌いだった父へ
(40代 C・W)
「早く死んでくれ!」
父を見舞った帰り道、何度もこの悪魔のような考えが頭をよぎった。
子どものころから、父はこわい人だった。
よく外で深酒をして早朝に帰宅しては、寝ている私を起こし、態度が悪いと怒られた。
酔った勢いに任せて、子供部屋のドアを殴り、大きな穴を開けられたこともある。
40才・どん底からの「自立」への道
(70代 K・U)
「すぐに荷物をまとめて、子供たちを連れて家を出てくれ。兄貴は破産した。」・・・
忘れもしません。1991年5月、末娘が小学校4年生の運動会の日のこと。
家に帰った私を待っていたのは、義理の弟からの1本の電話でした。
一体何が起こったのか訳も分からないまま、中3中2小4の娘3人と、
夜逃げ同然で義弟夫婦の家に転がり込みました。ただただ必死でした。
娘たちの気持ちすら、思いやる余裕は、全くありませんでした。
心のしこり~死ぬまで抱えていなくてよかった~
(70代 K・S)
まさか・・・・一緒に闘病生活を乗り超えた夫に裏切られるとは思いもしませんでした。
私は、夫を戦友だと感じ、共にがんと闘ってきた・・・・と思っていました。
夫は44歳で、胃がんになりました。
胃全摘、膵臓三分の二、脾臓も切除という、9時間に及ぶ大手術でした。
手術後、2ヶ月半で会社に復帰しました。
その5年後食道がんに、またその2年後には大腸がんになり、手術をしました。
夫はその都度、信じられないほどの回復力で社会復帰を果たしました。
不器用な自分との付き合い方
(70代 N・T)
「自分のことが見えていなかったな~」
今の仕事に就いて少したった時、思わぬ自分と向き合うことになりました。
見えていなかったと言うより、見ようとしていなかった、と言うのが正しいでしょうか。
それは、私が初めて知る「不器用な私」との出会いでした。
今から11年前、57才の時に今の仕事に変わりました。
それは、当時の私にとっては、とても大きな決断でした。
つづきを読む
どうせ私なんて~そんな自分を受け入れる~
(40代 C・U)
今から約2年前、私は2人の子どもを抱えて離婚を決意しました。
2人目の子どもを出産してから2ヶ月ほど経った頃のことです。
結婚してすぐに夫の海外転勤に付いて行くため、私は仕事を辞めて専業主婦になりました。
転勤先で一人目の子どもを妊娠し、その後も国内転勤が続いたので仕事復帰は全く考えていませんでした。
見知らぬ土地での初めての子育ては大変でしたが、毎日必死に、でも楽しく過ごしていました。
私なりに誇りをもって家庭を守り、精一杯夫を支えているつもりだったのです。
つづきを読む