不器用な自分との付き合い方

「自分のことが見えていなかったな~」

今の仕事に就いて少したった時、思わぬ自分と向き合うことになりました。
見えていなかったと言うより、見ようとしていなかった、と言うのが正しいでしょうか。
それは、私が初めて知る「不器用な私」との出会いでした。

今から11年前、57才の時に今の仕事に変わりました。
それは、当時の私にとっては、とても大きな決断でした。
でもその時、私は「大丈夫、私には柔軟性もあるし、自分で決めたことへの覚悟もある。
何ができるかわからないけれど新しい環境、新しい仕事に一所懸命向かって行こう!」と、
緊張しながらも、高揚した気持ちでスタートしたのです。

ところが実際は、言葉の選び方一つ、書類の作り方一つ、
判断基準がちょっと違うだけで、とても戸惑う自分がいました。

「ここではそういう言葉の使い方はしないのよ。」
そう言われただけで、途端に自分に自信がなくなりました。
「違う」というだけで、私自身を否定されたわけではないのに・・・
「違う」の意味を理解して、切り替えればいいだけなのに・・・
「この会社で大切にしていることは、今の私にはまだ理解できていないのだ」と、
段々 自信が無くなり、受け身でいることを選択するようになっていきました。

そんな中、ある日言われたこと。
「不器用だよね。」
最初は受け入れ難く、戸惑いました。
「えっ、私のこと?」・・・否定されたと思いました。

それまで、自分が不器用だとは思ったことも無かったのです。
「“不器用”を武器にできたら素晴らしい!」と言われても、何のことやら・・・
その時は“不器用”と言うことに価値があるなんて、思ってもみませんでした。
まず「私は不器用なのだ」ということを受け入れるところから、とても時間がかかりました。

「自分を見る」「自分と向き合う」ということをやっていくうちに、少しずつ気づきました。
・何か引っかかると、パッパッと切り替わらないところ
・不器用だからこそぶつかる壁や失敗の数の多いこと
・もがいて、遠回りをしながら、ようやく見えてくる道筋・・・
そう言われてみれば、まさに私は“不器用”なのだと思いました。

怠け者で、おまけに不器用な私。せっかく新しい仕事に誘ってもらったのに、何一つ自信がない。
「こんな私がここにいてもいいのだろうか?」
そんな気持ちがピークになった時、社長に話を聞いてもらうチャンスがありました。

人間は弱い。人間だからこそ、そういう思いをするのだ。
見えてきた自分の弱さを、「これも私」と受け入れる。
弱い自分はいやだと、もがく自分を受け入れる。
・・・毎日少しずつ少しずつ、自分の中に繰り返す。
不器用だから繰り返しができる。
不器用だから人を待つことが出来る。

弱い自分を、ありのままの自分を受け入れて、しっかり抱きしめる。
自分をしっかり受け入れることができたら、相手を受け入れることができるのだと。
人は、潜在意識では自分も他人も区別が出来ない。
だからこそ、どんな自分もひっくるめて受け入れるのだと。

話を聞いてもらい、そう言ってもらえたことで、少し気持ちが落ち着きました。

こんな自分でいることを、自分で受け入れられるようになるかもしれない。
「この場所で、私にできることを一つずつやっていこう」と思い直すきっかけになりました。

「弱いところを受け入れて武器にする」・・・
思ってもみなかったことができるのかもしれないと思えました。

これからの人生を「相手の幸せを心から願う仕事」に使いたい・・・
最初に思ったこの気持ちは、一度も揺るがず、私の中にあります。
私にとって「相手の幸せを心から願う仕事」とは、「出来ないことに挑み続ける仕事」です。

怠け者で、不器用な私には、苦しいことも相変わらず多いです。
でも、繰り返し繰り返し、自分に言い聞かせながら気づいたことがあります。

それは、「人の“やれないしんどさ”に寄り添えるかもしれない」という思いです。

やれない、出来ない苦しさを知っている私だからこそ、
人が少しでも出来るところが増えたら、少しでも前を向けたら、
心から喜び励ますことが出来るのでは?と思えているのです。

関わる人が自分自身を好きになり、輝きはじめる・・・
そのために、自分の中の弱い部分を受け入れて、もっともっと強い人間になっていきたいと思います。
人に抱きしめてもらうことを期待するのではなく、自分で自分自身をしっかり抱きしめて。