どうせ私なんて~そんな自分を受け入れる~

今から約2年前、私は2人の子どもを抱えて離婚を決意しました。

2人目の子どもを出産してから2ヶ月ほど経った頃のことです。

結婚してすぐに夫の海外転勤について行くため、私は仕事を辞めて専業主婦になりました。
転勤先で一人目の子どもを妊娠し、その後も国内転勤が続いたので、仕事への復帰は全く考えていませんでした。

見知らぬ土地での初めての子育ては大変でしたが、毎日必死に、でも楽しく過ごしていました。
私なりに誇りをもって家庭を守り、精一杯夫を支えているつもりだったのです。
夫も当初はそんな私を労ってくれていました。

ですが専業主婦として過ごした7年間の結婚生活を通して、
私は精神的にも経済的にも夫にどっぷり依存するようになっていました。
いつのまにか私は、夫の目を通してしか、自分を評価できないようになってしまったのです。

そんな中、2人目の子どもを妊娠しました。
夫婦で話し合い、以前から望んでいたことでした。

そしてそれと時を同じくして夫は会社を辞め、起業しました。
自分のやりたいことで事業を起こすことは、夫のかねてからの夢でしたので、
多少不安はありましたが、私は特に反対することも意見することもありませんでした。
何も言わずに見守ることこそが、私なりに夫を支え、応援する方法だと思ったからです。

「夫なら大丈夫」という信頼もありました。
「たとえ失敗しても私が働けばいい、いざとなったら何とでもなる」という思いもありました。

でもそれが…よかれと思って口出しをしなかったことが、
夫の目にはとても無責任に映ったようです。
能天気にいつまでも働く気のなさそうな私を見て、夫は言いました。

「自分の人生を人に委ねて、何の危機感も感じないのか」
「これからどうしたいのか、何をして生きて行くつもりなのか」

そう言われる度に、私は責められていると感じ、傷つきました。
そして私は私で、

「あなたの転勤があるから仕事を辞めたのに」
「今こんなに手がかかる息子を前にして、就職活動なんてできっこない」
「これから出産を控えてるのに、先のことなんて考えられない」

と、あらゆる言い訳を並べては、
そんな物言いをする夫のことをずっと責め続けていたのです。

たしかに楽観的すぎると思われても仕方なかったかもしれません。
自分がどうなりたいのか、どういう人生を歩んでいきたいのか、
当時の私には何も見えていなかったのも事実です。
そして、妊娠をいい訳にして、その事実から目を背けていた自分もいました。

そんな私から、夫の心はどんどん離れて行きました。
そして、夫は私の存在を無視するようになったのです
この状態は説明するのがとても難しいのですが…

たとえば、子どもに対しては今までと変わらず笑顔で接します。
けれども、私に話す必要がある時はスッと目が据わるのです。
常に不機嫌なような、むしろ感情がないような、そんな状態。

子どもを介してしか会話が成り立たない、
何とも表現しがたい、いびつな夫婦関係でした。

パートナーとして一番近くにいる人間の生き方や考え方を受け入れられない。
…夫も辛かったのかもしれない、と今では思います。
しかし夫と心が通っていないことも、夫からの冷たい態度を受け続けることも…
言葉にしがたい程に辛い状況は、少しずつ私の心を蝕んでいきました。

「何かがおかしい。このままではまずい。」

私の不安定な情緒をいち早く察知した母が手を差し伸べてくれなければ、
私の心は完全に壊れていたかもしれません。

母も私も、まずは夫との関係が修復できないかということを考えました。
ですが2人目の子どもが生まれても、さらにはその直後に私が脳梗塞で倒れてもなお、
夫の態度が変わることはありませんでした。

不幸中の幸いで、病後は後遺症も残らず、順調に回復しました。
ですが、体力が回復しても、2人の可愛い子どもを前にしても、
心に広がるのは、底の見えない沼のように果てしない、真っ暗な絶望だけでした。

見かねた母が夫婦の話し合いの場を設けてくれました。
もはや、夫と2人ではまともに話せる状態ではなかったのです。

それまでずっと、先が見えない暗闇の中でもがいていたように思います。
でも夫が淡々と話す様子をまるで他人事のように聞きながら、
その瞬間にはっきりと、「ああ、もう無理だ」という 確信に近い感情が沸き起こりました。

「自分を否定し続ける人のそばにいてはいけない。」
夫との話し合いを経て、私はそう結論を出しました。

私の心を守るため、つまりは子どもたちの幸せを守るために、離婚を決めました。
けれども、経済的にも精神的にも全く自立できていない私の心にあったのは、
先の見えない将来への不安だけでした。
そしてあまりにも低い自己肯定感…これが本当に、根深かったのです。

私には何もできない。
なんの能力もない。魅力もない。
一人では何も決められない。

人と話すのがこわい。
人にどう思われるのかがこわい。

どうせ私なんて。
どうせ私なんて。
どうせ私なんて。

そんな時に私を救い上げてくれたのは、
やはり母でした。

母はすぐさま私と子どもたちを家に呼び寄せてくれました。
そして自分が勤める会社にかけあい、私の仕事を見つけてくれたのです。

自立への第一歩として、仕事を得られたのは本当にありがたかった。
けれどもそれ以上に、自分の居場所と仲間を得られたことが
何よりの力になりました。

責めることも否定することもなく、憔悴しきった私をありのまま受け入れ、認めてくれる。
自分を好きになるために変わろうとしている私を誉め、励まし、寄り添ってくれる。
この場所がなかったら、私が元気を取り戻すことはなかったと思います。

人は弱い。誰しもが弱い。
弱いからこそ、人的環境がいかに大事か…。
人は誰のそばに身を置くかで、良い方にも悪い方にも向かいます。

夫と離れ、自分を認めてくれる仲間を得たこと。
このことで、私の人生は大きく変わろうとしています。

まずは、弱い自分を知ること。
弱い自分と向き合うこと。
弱い自分を受け入れること。
弱い自分を愛すること。

本当の意味での自立へ向けて、今の私が向き合っている課題です。

ずっと夫から否定され、
自分でも否定し続けてきた、自分の弱さを愛することは、
決して簡単なことではありません。
今でも日々、自己否定と自己嫌悪の感情と戦っています。

けれども、こんがらがった紐をほどいていくように、
少しずつ少しずつ、自分の心がほどけていくのを感じています。

全ての経験が、人の痛みを理解し、寄り添うための力になることを信じて。
今日も仲間と共に、前を向いていきます。